今回は３部立てになります。
一部は「太閤記」とは？
二部は「帰蝶と美濃衆」
三部は「本能寺の変　真相」

初めにダイジェスト
一部　日本史史上で有名で人気の高い秀吉。されど、「太閤　
　　　記」以外にそうした記述はあるのか？
二部　斎藤道三はなぜ、あっけなく息子に打ち破れたのか？
　　　その陰にある帰蝶と美濃衆とは？
三部　「太閤記」が胡散臭いのなら、張本人は秀吉の息のかか
　　　　った者たちか？なぜに明智下手人とされたのか？
こういう趣向で書いていきます。
筆の奔るのを大目にみて頂きながらご拝読して頂ければ幸いです。

「もう１０年前か、山城の弓渕で鷹狩をしてたとき、同行者で俺と同じように眼帯をしてた門弟が何者かの吹き矢で命を落としてな。」「わしはその下手人をすぐひっ捕らえ、催眠術で正体を探ったんじゃ」無量斎と甚五郎が語り始める。「そやつは幕府からの刺客じゃった。わしは殺さずに任務が成功したよう暗示をかけ、生かしてかえした。ついでに目撃した農民や検死にきた奈良奉行や役人にも片っ端から催眠術をな」「俺は家督を世渡り上手の弟に譲り、自由の身となり、『百兵衛』『千衛門』『万次郎』『億劫坊』『兆左衛門』など名を変えて旅をして、『無量斎』に行きつき、譜代大名や旗本の悪企みがあると聞けばそれを打ち砕いてきた。これを知ってるのは、弟と尾張の叔父貴、妻と娘だけだ。」「どうして大名の座を捨てたのだすか」影丸が尋ねる。［いやになったのさ。さっきも言ったろう、江戸城は五みの山。親父殿が剣の腕で大名の座につくと、譜代大名や旗本連中から妬まれ、成り上がりとか陰謀の片棒担ぎと揶揄され、俺も同じような目にあった挙句、命まで狙われてな。おそらく大名を続けてたら遠からず俺は江戸城内で刃傷沙汰を起こしたに違いなかった。皆、些細な事やつまらぬことで争っていたのさ。酒井忠勝だって前田を目の敵にしたのは、外様のくせに自分より石高が高く大きな領国を有するのが気に入らなかったからでな。児戯に等しかろう。」影丸は黙って聞いてた。「目はどういうことで？」藤三郎が尋ねる。「もともと目はなんでもない。子供のころ親父殿との稽古で怪我はしたが。親父殿は眼帯を外さず、片目で間合いをはかれと言われた。それに攻城戦で屋外から屋敷内に入った時、暗さに目が慣れぬと不覚をとる。そのとき眼帯を外せとな」「そうだったのか」「おれのことは報告するのか？」無量斎すなわち十兵衛が問う。「もちろん」影丸が即答する。［ぬぬ］甚五郎が睨む。「無量斎という鬼のように強い剣豪がいたとね」影丸の答えに「鬼とはなんじゃ、若はやさしいお方じゃい」甚五郎が怒鳴る。「まあまあ、そこはよしなにな」と十兵衛。「ところで」十兵衛が小次郎に向き直る。「前田藩はおまえたちの素性や本拠は知ってるのか？」「雇われるとき、仲介の山伏から確認してるかと」小次郎の答えに「すると、前田藩はしつこく刺客を送るかもしれんな。いいだろう、お前らが甲斐に戻るなら、俺が用心棒をしてやろう。」「あ、ありがとうございます」「おれも江戸に戻る前に恩人の墓参りをしていきたいな」影丸が藤三郎に告げる。「いいぜ。俺が一人で報告に戻る。お前はゆっくりしてきな。でも半蔵様や伊豆様は怒るだろうな、自分たちだけ江戸城で蚊帳の外だと知ったら。」「俺たちがわるいんじゃない。城内に詰める御庭番衆はどやされるかもしれんがな」「そうだな。それじゃお先に」「すまんなよろしく頼む」藤三郎が姿を消した。
「俺は一足先にまぼろし砦のみんなに知らせてくる。影丸さんが来ると知ったら、喜ぶと思うよ。」「頼んだぞ」飛丸も消えた。
「甚五郎、お主はまた江戸城で、新たな噂を探ってくれ。何かあったら知らせをたのむ」十兵衛の依頼を引き受ける甚五郎。「かしこまりました」彼も江戸へ向かう。
「それでは、まぼろし砦とやらへ向かうか。しかし俺はお前らみたいに跳んだりはねたりできんからな。歩調を合わせてくれよ」「わかりました」
加賀から甲斐の短い行程だが、十兵衛、影丸、小次郎の三人旅が始まった。　　　　　　〜完〜　　　　　　　

影丸たちがいた山の林の中の茂みがガサガサと音がして、飛丸が姿を見せた。「あ。小次郎の兄貴。会いたかったよー」「お、飛丸、無事だったか」二人が抱き合った。「狼煙を焚いて、今夜中におまえが来なかったら、あきらめるつもりだった。」小次郎が飛丸の頭を撫でる。後から無量斎と甚五郎がやって来た。「わ、出た」藤三郎が飛びのく。「おい、化け物じゃないぞ」無量斎が話しかける。「戸隠忍者は全滅して、雅楽頭忠清の野望は失敗したな。小浜の酒井忠勝が昨年死んで、後見をしてもらった忠清が前田藩取り潰しの後事を託されたと噂されてたがな」無量斎に影丸が問いかける。
「その噂、紀州殿が発していたと、そこの甚五郎殿から聞いた。どうしてそんな噂が流れたのだ？」「江戸城てのはごみの山さ」「ごみ？」「妬み、嫉み、やっかみ、恨み、嫌みで五みだ。家中にも不忠者や軽率輩がいて些細なことで主君を恨んだり、同僚をやっかんだりして、大事な秘密が容易く漏れちまうのさ。保科正之殿も知ってて綱紀殿に指示をしてたようだぜ」「あ、確かに綱紀殿は保科様の手紙を頻繁に受けてるようだった。」藤三郎が叫ぶ。「でも伊豆様や半蔵様は知らなかったようだが。」「あの二人にあやふやな噂を告げて、それが根も葉もないでたらめだったら、洒落ではすまんだろ、それに、あの二人は煙たがられているのさ。」「なかなか江戸城の事情に詳しいようだが、あなたは？」影丸が尋ねた。
「お前たちの素性を聞かせてくれ。」「もうしおくれた、私は公儀隠密、服部忍者隊の伊賀の影丸。」「同じく藤三郎だ」「そうか、おい甚五郎、教えてやれ」「このおかたは、さきの柳生藩藩主、柳生十兵衛三厳様じゃ」「えー？」影丸らが驚愕の声をあげる。「死んだはずでは」「この通り、齢はとったがピンピンしてる。しかし江戸に報告しても誰も信じまい。」「どういうことだ？」

「あ、ありがとうございます。俺は常葉の飛丸。前田藩に雇われてた忍びです。城の連中が急に俺たちを襲いはじめて」
「忍びをそのように扱う家もあるんだ。災難だったな」無量斎が声をかける。「しかし、馬から逃げるとは大したもんじゃ」甚五郎が感心する。「俺、仲間がいるんだけど」飛丸は気が気でない様子だ。「あ、あれは」山からのぼる一条の煙を指さす飛丸。「仲間の、のろしだ」「え？夕餉の竈の煙じゃないのか」周辺にいくつか煙が立ち上っている。「色が違います。鈍く光ってるんです。一緒に来てくれませんか」無量斎と甚五郎が飛丸についていく。
山の中では小次郎が影丸に事情を語っている。「私が砦から戻って間もなく、本多様から密命を受け、正体をかくし、長様に仕えて謀反心の有無を探ることになりました。」長家は譜代の家来ではなく、周囲の家来は冷たい視線を送っていた。「表向きは江戸屋敷に出向いたこととし、食い詰めて陰間になった忍びとして陰間茶屋にはいり、長家のお侍を客にとって、お気に入りとなり、文武にわたって才を表に出して見せ、お屋敷に呼ばれると、半年と絶たず家老様の側用人に登り詰め杏之進の名も賜りました。長様は忠義で謀反の欠片もなかったのですが、老中の使いとして戸隠忍者があらわれ謀反を促してきました。」老中酒井は前田家の家中の状況を、隠密を送りこんでいた半蔵から聞き出していたのだろう。「私は御家老に殿に恭順するよう説得し。戸隠忍者には協力するふりをして、その撃退法を練っていました。」屋敷内外に居座る戸隠忍者の忍者の目を盗み、作り上げた作戦の上申書や恭順の誓約書は、家老が所持して登城すると途中で奪われる恐れがあるので、杏之進である小次郎は連頼に依頼して信頼のおける飛丸を長の屋敷に忍び込ませて、書面を手渡しすることに成功したのだった。藤三郎も合流し、小次郎の話をきいている。城中に努めていた二人の隠密は戸隠忍者の存在に気づき、彼らに討たれたらしい。
傍らに小さな焚火があり、細い煙があがっていた。

日が沈み始める頃、茶室から少し離れた山中で、戸隠忍者や前田藩雇い忍者の死体の検分が進められている。「一人足りません」「何」鉄砲隊と役人が話し合っている。「わが藩が雇った忍者の死体の数が合いませぬ」「あの、すばしっこい小僧の忍者が見当たらないな。もしかして弾を避けて逃げたか」「探せ、一人も生かすなとのご命令じゃ」役人たちが山狩りを始める。
茶室から逃走した杏之進だが、その行くてに鉄砲を構えた侍たちが並んでいた。「うう」進退窮まる杏之進。そのとき、黒い木の葉が鉄砲隊の上に降り注いできた。「うわ」次々に鉄砲隊の武士は倒れる。
「命がけで仕えた主君に裏切られるとは不憫だな。すこし事情を聞かせてもらおうか。」木の葉の向こうに影が見える。驚く杏之進に影丸が姿を見せた。「あ、あなたは影丸殿ではありませんか」「え？」今度は影丸が驚いた。「私は浅香杏之進は仮の名前。実の名は鰍沢の小次郎。甲州下部まぼろし砦の出身です。」「なんと？」影丸が顔を覗き込むが見覚えがない。「御存じないのも無理はありません。あなたが滞在されたのは、私が巣立った後です。私は急な知らせで砦に戻り、地獄谷であなたの姿を御見掛けしたのです」「そうだったのか。それでみなさまは？」そこで小次郎はこれまでの経緯を語る。「そうだったのか。幻州どのも子供たちも・・」「しかし、あなた様やお仲間が仇をとってくれました。前田藩のことについては、知ってる限りのことをお話しします。ただ、気がかりなことが」それは弟分でともに前田藩に雇われた飛丸の消息だった。
夕暮れの街道を金沢へ向かう二つの影があった。無量斎と甚五郎だ。「いや、鉄砲隊の姿をみて、姿を隠し、あとは何もできなかったな。だが酒井の企みは潰えたようだし、よしとするか。それにしても綱紀殿は見事な采配だった」「思うに綱紀殿の姑君すなわち摩須姫の父君は保科正之殿。何か指示があったのでは」甚五郎の言葉に無量斎が頷く。「たしかに、保科殿も酒井の企みを知っていたか。」湯涌の方向から複数の蹄の音がする。一人の少年が馬上の武士たちに追われ走ってくる。「甚五郎」「は」甚五郎が姿を消した。走っていた少年は飛丸だもう息があがっている、馬が追いつき馬上の武士が刀を振り上げたとき、［ヒヒーン］馬が立ち上がり武士を振り落とした。後続の馬もづ陽に暴れ、武士たちが落馬する。甚五郎が含み針を馬の尻に刺したのだ。「おのれ」落馬した侍が立ち上がる。飛丸は茫然としている。「小僧、逃げんかい」甚五郎がうながす。そこへ無量斎が駆けつけ侍たちを次々とみねうちで倒した。

奥村が話す。「たしか、先代光高殿が江戸で亡くなられたとき、ご隠居の利常殿はお家の一大事と、大勢の忍びを雇い、幼い綱紀殿や自身の警護を固められた。案の定、謎の忍者集団が襲撃してきたが、それを退け、綱紀殿は家督相続をなされた。その後忍びをだまし討ちして口を封じたとか」「秀吉公も蜂須賀党ゆかりの忍者以外は使い捨てされた」「家康公は忍びを大切にしてましたがな」「利家公が忍びを始末しようとしたときは、甥御殿が怒って、くのいちとその一党を引き連れ出奔したとか」
そのころ茶室では、「鉄砲が二度なったが、」「討ち漏らしでもありましたかな」綱紀らが語り合う。「ともあれ、私が曲者に扮した同僚に手渡した書面が無事殿の御手に渡り、すべて順調に成就したのには安心しました」杏之進が変装を解く。「ほう、男と思えぬ美形じゃのう」綱紀が感心する。「そうじゃ、此度の最大の功労者はそちじゃ、最初の一服はそちに譲ろう。」「ありがたき倖せ」連頼が風炉の茶釜の湯を汲み、茶をたてる。茶筅を操る連頼を見つめる杏之進。
「それでは。お先に」茶碗を手にした杏之進はすくと立ち上がると、そのまま明り取りの丸窓を突き破り、庭へ飛び出した、茶碗を池に放り投げた。家の魚が浮かんでくる。
「私に毒を盛りましたな。あなたの所作がすこし違ってた。」杏之進が怒鳴る。「何事も百万石を守るためよ」連頼が語り掛ける。「それならお教えしましょう。私は最初からあなたの監視のために潜入していたのです。もし、あなたが謀反心を持ち続けていたなら、私があなたを成敗することになっていた」「なに」杏之進の言葉に連頼が綱紀を見る。「わしは知らん。皆の者、このしれ者を討て」万一に備え控えていた家臣たちが、杏之進に向かう。「ちっ」杏之進は煙玉を投げて姿をけした。
「なんか予想外の展開だな」近くの樹上から様子を見ていた藤三郎が動き出した。
「どこに逃げた」「あそこだ」林に黒い人影を見つけ、侍たちはそこへ向かう。「足が速いぞ」そこへもう一つ人影が。「こっちか」刀を振るうと、「うわ、蜂の群れだ」侍たちは退散した。「忍法虫寄せ変化。さて、影丸はどうしたかな」木の枝の上で腰かけてた藤三郎は姿を消す。

［ダダーン］何十丁もの銃声が山中に鳴り響く。その音は綱紀らのいる茶室にも届いた。「終わりましたな。この通りそれがしには二心はございませぬ。先日も誓約書をお届けいたしましたが、あの書状にしたためた通りでございます」「うむ、あの戸隠討伐の作戦書と一緒に届いた書状じゃな。目は通したぞ」
長家は元来能登の鹿島を本領として北畠氏に仕えてたが、北畠が滅びた後、前田氏が信長から加賀の地を賜り、そこに移ると前田氏に恭順して家臣に加わったのだった。
このため他の家臣たちから謀反の疑いの目を向けられ、老中酒井もそこに目を付けたのだろう。「戸隠の千山が携えてきた酒井の書状には、前田藩取り潰し後に能登十万石の大名に推挙するとありました。迷惑千万ですわい」連頼が吐き捨てるように語る。
千山ら戸隠忍者は、傷だらけのわずかな手勢で森の中をさまよっていた「くそ、はかられたか、無念」「あ、あれは」頭上から大きな網が落ちてきて、千山らに覆いかぶさった。上から前田藩の忍者が飛び降りてくる。彼らは茶室の警備の忍者と別の鉄砲隊と行動をともにしていた別動隊だ。「仲間の仇だ」動きを封じられた千山らをめった刺しにした。すると、「狙え」鉄砲隊が前田藩の忍者らに銃口を向けている。
「まて、まだ俺たちがいるぞ。」慌てる忍者たち、しかし鉄砲は火を吹いた。
金沢城の広間の一角で留守番の家老たち、本多政長、横山忠次、奥村康礼らが茶を飲みながら談笑している。「そろあおろ片付きましたかな」「うちで雇った忍びには気の毒な気もしますがな」「いや、前田家ではお家の一大事の後は、秘密保持のため、忍びの口を封じて使い捨てにするのが習わしですからな」家老らの話はさらに続く。

影丸と藤三郎は、藩主綱紀の一行を尾行している。綱紀は木蔭で涼をとり一服している。両脇で小姓が扇子であおいでいる。
「もう少し近寄ってみるか」藤三郎が影丸に話しかける。「やめておけ、あの長連頼に仕えてる杏之進は感の鋭い忍者だ。それにしてのおかしいな」「なにが？」影丸に尋ねる藤三郎。「あの杏之進、綱紀殿を討とうと思えば、いつでもできそうなのだが」「湯涌で戸隠にやらせるつもりだろう」「そうだな」影丸は考え込んでる。
前田家の湯宿の前には立派な駕篭が置いてある。湯宿から茶室へは綱紀はこれで移動する手筈だ。担ぎ手に指示をしていた役人が、今度は長連頼の茶室に向かった。
「なにか異常はないか」茶室の前で役人が声をかける。「静かだな」「ここにおります。異常はありません」一人の忍者が立ち上がり返事をする。「そうか、もうすぐ殿が見えられる。殿の前では姿を見せるなよ」「は」役人は戻っていった。警備の忍者は戸隠忍者の変装だった。
藩主らは八つ時をすぎ、日が西に傾きかけた頃に到着した。
綱紀は小姓と湯殿に向かい、長連頼らは先に茶室のある庵に向かう。これを見て見張りの忍者は千山のもとに向かった。「もうすぐ綱紀がやってきます。」「よし我々も手筈通りに移動だ」戸隠忍者らは茶室の東の山中の広場に陣を取った。
湯あみを終え、着替えた綱紀は駕篭に乗り、長連頼の庵までやってきた。「ようこそ、いらっしゃいました。主人は茶室にてお待ち申し上げております」杏之進が綱紀を案内する。作法に乗っ取り刀を預けると、茶室の躙り口から室内にはいる。中で亭主役の長連頼が待ち受ける。「ようこそ、おいでくださいました。光栄至極にございます。」丁寧に礼をする連頼。「よい茶室じゃ。床の間の掛け軸は利家公の書か。」
「はい。そして茶をたてる前に座興がございます。はいれ」
次の間の襖があき、もう一人綱紀がはいってきた。「これは仰天じゃ。瓜二つではないか」それは杏之進の変装だ。「その方、影武者が務まりそうじゃの」笑う綱紀に杏之進が静かに菓子を供する。「そろそろ頃合いかと」連頼が呟く。
山中の広場で千山が一同に号令する。「いくぞ」そのとき「お頭、人の気配が」戸隠忍者らを囲んで、鉄砲をかまえた侍たちが何十人も現れる。「撃て」

湯涌温泉の開湯は奈良時代と伝えられ豊臣の時代には、前田氏の隠し湯でもあったという。後に前田家の湯宿だけでなく、いくつかの宿や湯殿も建てられ、領民もこの地を訪れるようになった。しかし、藩主が訪れるとあって厳
湯涌のみならず、城からここまでの街道沿いは役人や庄屋などによって牛馬を放さぬよう達しが出たりし、日常よりひっそりとしてた。
藩主綱紀は家老長連頼とこれに従う浅香杏之進、小姓らとともに早朝から城を出立した。炎天下とあって、途中、何度も涼をとったり馬を休ませたりなどして湯涌を目指す。
藩主らの到着を待つ湯涌の長連頼の茶室は前田家の湯宿から半里ほど東の山間にあった。茶室の周囲は前田藩の忍者が警備している。そこから少し離れた草むらの中を一人の戸隠忍者が這いながら様子をうかがっている。「だれだ」何者かに気づいたようだ。「やれやれ、見つかったか。俺には忍びの真似はむりだな。」立ち上がったのは無量斎だ。「アッ、貴様、仲間を斬ったやつだな。おのれ」戸隠忍者が抜刀する。
「やるか」無量斎も刀を抜く。忍者が菊花手裏剣を無量斎の刀に向けて投げた。無量斎は素早く刀を左に持ち替え、腰の鞘を抜いて飛んでくる菊花手裏剣をあしらった。手裏剣は鞘にまとわりつく。「同じ手は食わんぞ」無量斎が突進し、背を向けて逃げようとする忍者に一太刀あびせた。
「ここに来るのは、後刻とするか」無量斎は菊花手裏剣を振り落とした鞘に刀を納め、立ち去った。
前田藩の忍者二人がこの様子をみてた。「あれは横山様のところの浪人だな、追うか？」「いや持ち場から離れてはいかん。戻ろう」二人は戻っていった。
「斥候に出た力蔵が戻りません」戸隠の下忍が千山に報告する。「ほう、前田の見張りにやられたかな。そんな腕の立つやつは、いなさそうだったがな。いいだろう、わしがお膳立てをしてやろう。お前らは待機してろ」「はっ」岩倉千山が姿を消した。
「ふむ、２０人ほどか」千山は茶室を見おろす山の中腹に来た。「お、誰かいる」前田藩の警備の忍者が草原に立つ怪しい人影に気づいた。ゆれる人影は、いくつも出現する。「何者だ」前田藩の忍者たちが集まって来て人影に接近する。それはちいさな焙烙に炭火を入れ、そこに薄い黒布を取り着けて、たちのぼる熱気でゆらゆらと立ち上がって揺れていた代物だった。「なんだ、誰の悪戯だ？」忍者たちが怒りをあらわにする。「ふふふ、やってきたな。このわしが捕まえられるかな」林の前で千山が不敵に笑うと、林の木々の中へ飛び込んでいった。「逃がすな」前田藩の忍者たちが追って、林の中へ駆け込む。逃げる千山は黒い風車をとりつけた手裏剣をそこここの木々に投げた。気に刺さった風車は回転して黒い粉をまきちらす。千山の跡を追いかけてやってきた忍者たちが黒い粉を浴びると突如苦しみだし、その場に倒れて息絶えた。
「ふふふ、忍法涅槃車。これでかなり片付いたな。あと少しか」
茶室の周辺に残っていた忍者たちも、千山の姿をみて集まったところへ、風に乗って流れてきた黒い粉を吸い込み倒れてしまった。「これで全部か。だいぶ仕事がしやすくなったな」千山は部下たちのところへ戻る。

「御家老から預かった書面のとおり、当日の遠乗りの予定、警備の前田藩の忍者の配置、茶室の図面などすべて記されてます」杏之進が戸隠忍者に説明する。「当日は私は御家老と行動を供にするので、あとは天山殿よしなに」「心得た。皆の者抜かるな」天山が声をかける。「ははー」配下の忍者たちがこぞって頭を下げる。遠乗りの後、茶室にはいった藩主綱紀を一斉に襲撃して打ち取る計画だ。
　「おい、藤三郎」牢内の石畳の床に石が持ち上がり、米吉が声をかけた。真夜中で牢番は、またも眠りこけてる。「おう、どうした」藤三郎が尋ねる。「藩主の遠乗りで事件が起きそうだ。もう、ここを出て影丸と行動をともにしろ。」「そうか、それじゃ、また身代わりの人形を。」床の下の穴に隠してた土嚢に黒い布をかぶせた人形を置いて、藤三郎は米吉とともに金沢城から脱出した。
旅籠で３人の隠密が相談する。「米吉は店を空けられんだろうから、これからは、俺と藤三郎の二人で行動する。」「それで藩主が殺されるのを指をくわえて見てるのか？」藤三郎が影丸に尋ねる。「そこだが、今回の企ては老中酒井様の独断と見た。幕閣の総意なら、伊豆様や半蔵様もご存じのはずで、我々にもそれに沿ったご命令があるはずだ。しかし酒井様が雇ったとされる戸隠忍者は我々の仲間を二人殺している。」影丸の言葉に「戸隠忍者はどう見ても、俺たちと敵対してるよな」藤三郎が応える。「無量斎の存在はまったく謎だが、彼も領主暗殺を阻止しようと動いてるようだ」「うむ戸隠の連中と戦ってるしな」藤三郎も同意する。「それじゃ、無量斎は味方かな」米吉が尋ねる。「なんとも言えん
が、敵対するのは無意味だ。あやつの行動には干渉しないでいいだろう。」「領主の殺害はどうなる？」「なりゆきを見守ろう。だが戸隠や長連頼が人の道にはずれた行動をするなら、成敗してもよかろう」影丸の言葉に藤三郎がうなずいた。「よし、あとは、湯涌で決選だな。」
無量斎も甚五郎から報告を受けている。「そうか、湯涌で長は何か行動を起こすか」「思うに、戸隠忍者を使い、藩主を殺害するのかと」「ふん、酒井の思い通りにはさせんぞ。甚五郎、湯涌に先回りして、湯につかりながら、やつらが来るのを待とうじゃないか。」「では、御供を」二人は翌朝、横山の屋敷を後にする。
金沢城では、前田藩に仕える忍びの飛丸が家老本多政義の前に進み出て尋ねた「御家老様、先日の長様のお屋敷に出向いたときのことですが」「おう、ご苦労だったな、あれで、万事ことがうまく進むじゃろう。」「あのとき、私に書面を渡してきた杏之進という忍者ですが、私の知人で、たしか江戸表に出向いたと聞いていたのですが。」「うむ、かなり前から長に不審な動きがあるので、わしが間者に差し向けたのじゃ。陰間茶屋から長の家中の者に取り入り、いまでは長の腹心になってるようだがな。」「では秘中の秘なのですね。わかりました。私も胸の中にしまっておきます。」飛丸は家老の前から去った。「まあ、すべては、あと二日だ」本多はそっと呟いた。

「そうだのう、遠乗りか。まだ鷹狩の季節ではないしのう。」綱紀が連頼の誘いの乗る。「それがし、湯涌の地に庵を結び、茶室を設えました。湯に入って汗を流した跡、殿に一服差し上げとございます。森下の菓子もご用意しましたので。」「ほう、おじじ様が好きだった八左衛門のところのか、楽しみだのう。」綱紀は乗り気だ。「暦では3日後がよろしいかと。」「うむ、奉行衆に準備を命じよ。」
「これは、すぐ影丸にしらせねば、」藤三郎が天井裏を後にしようとしたとき、「誰かいる。」藤三郎が柱の影に隠れる。もう一人の忍びが潜んでいた。しかし、そそくさと引き下がっていったようだ。その忍びが城外まで抜け出してきた。甚五郎だ「今朝はドジを踏んで、また、ここでも見つかったかと思ったが、どうやら何もなかったな。それより早く無量斎様に伝えなければ」老忍は走り去った。
地下牢では相変わらず牢番は居眠りをしてる。こくりとしたところで目を覚ました。「おや、あの黒い忍びのやつ、全然動かんな。生きてるのか？」牢の中に入ってみる。「おい」揺さぶってみると、「うるせえな」髭面の藤三郎が睨み返した。「なんだ、起きてたか」牢番が外に戻る。「ところで」牢番が牢の一角の窪みと溝の方に目をやる、牢の格子の近くに排泄用の窪みがあり、用を足すと格子越しに牢番が柄杓で掻き出す。「おまえ、何も飲み食いしてないのに、糞小便が多くないか？」「いや、以前に食い溜めした分さ」藤三郎が言い繕う。『いけねえ、これからは、兵糧丸を控えめにしよう』藤三郎は後ろを向いて横たわった。既に甲虫を使い連絡は済ませたようだ。
夕刻、店の仕事を終えて旅籠にやってきた米吉に影丸が告げる。「まずいぞ、家老が藩主を殺めるかもしれん。」「なるはど、長が動き出したか」「半蔵様から何か指示はないか。」「なにも、それに手紙は今朝出したばかりだ」「無量斎も動くかもしれんが、なりゆきを見守るしかないのか」
金沢城内では、馬廻り役が準備にかかり、藩の忍びたちも警護の打ち合わせで集まっている。その中に長連頼の屋敷裏で自爆したはずの飛丸の姿もあった。
城下の北東、卯辰山の森の中では、岩倉千山率いる戸隠忍群が、城主襲撃のための作戦を立てるため、集合していた。

旅籠の一室で影丸と米吉が昨晩に入手した、弥五郎がつかっていた連弩の箱や矢の束を調べながら会話をしている。「上野の国厩橋は老中酒井様の領地だぜ。たしかに近いけど戸隠忍者と関係あるのかな。」「そうかもしれん。確証はないが半蔵様には知らせねばな。それにしてもこの仕掛けはどうだ。矢が焼き物の輪の中にぎゅう詰めだ。箱の中は頑丈そうな弓があり、弦には受け皿がついて、ここで矢の束をうけとめるのだな。」「矢の束を入れる箱の入口はすり鉢状だな。魚とりの籠のように入る方は楽だが、外に出るときは返しに引っかかり出られない。」「ここでは焼き物の輪が引っかかり、目いっぱい弓矢は張られてるが、そのまま止まっているのか。」「箱の横の紐を引くと鉄球が動いて、焼き物の輪を打ち砕き、その瞬間、矢の束が飛び出すというわけか」「あのからくり人形といい、この連弩の箱といい変わった武器を使うな、戸隠は。」「まてよ、上野の国も近いが、西の飛騨も近い。飛騨の匠を招いたか。」天井裏で甚五郎は二人の様子をうかがっていた。そのとき、「動くな」声がして、後ろからいきなり甚五郎は目隠しをされた。背中には刃物があたっている。影丸が甚五郎を捕らえた。部屋の中の影丸は人形で、米吉が腹話術と声色で二役を演じていたのだ。
「おまえは一体何者だ」影丸が尋ねる。「うう、わしは根来の出じゃ。紀州様に仕えてる根来の知人から、酒井が前田藩の取り潰しを企んでるとの噂をきいたのじゃ」「それで、どうするんだ」「その企みを潰すのさ。だれに頼まれたのでもない。わしと無量斎様が好きでやってるんじゃ」「無量斎とは何者だ」「どうしても答えろというんなら、わしゃ舌を噛むぞい」「わかった、もういい。ここから立ち去れ。ただし目隠しはとるなよ」甚五郎は手探りでよたよたと歩き、旅籠の屋根にあがって飛び去った。
「なにかわかったか？」米吉が影丸に尋ねる。「酒井殿が長連頼や戸隠忍者を使ってお家騒動を起こそうしてるとの噂だ。江戸の紀州様はそれを知ってたらしい。」「なにか、おおごとになりそうだな」米吉は顔を曇らせる。
金沢城で捕らえられた藤三郎は、日中に牢内に土嚢に黒い布を着せた人形を身代わりにして、影丸が掘った脱出口から抜け出し、大広間の天井裏まで忍び込んだ。大広間で長連頼が綱紀に進言をしている。「殿、少し暑うございますが、好天続きなので、近々、遠乗りでもなさいませんか」藤三郎が耳をそばだてる。

無量斎は荒れ野で８人の忍びと戦っていた。既に彼の足元には二人の忍びが斬られて横たわっている。「ううむ、よし、菊花手裏剣を」「おう」残った忍者たちが棘や触手がいくつも生えてるような殺傷能力も疑わしい奇妙な形状の手裏剣をなげた。
「おお」無量斎が刀でこれを受ける。「やや」手裏剣は刀に絡みついた。これでは切れ味が著しく低下する。少し無量斎が焦った様子を見せた。「煙玉だ」「おう」忍者たちが煙玉を無量斎に向けて投げる［ボーン］無量斎の周辺に煙が充満した。忍者たちがそこへ手裏剣を投げつけ、吹き矢を飛ばす。しかし手応えがない。煙の方を見つめる忍者たち。そのとき、一人の忍者の足元で草叢から白刃が輝き、その忍者の足を切り払った。「うわ」もんどりうった忍者。その傍らで無量斎が立ちあがり、とどめを刺す。「おのれ」近くにいた２人がそちらに斬りかかるが、無量斎はいとも容易くなで斬りにした。刀は先に倒してじぶんの足元にいた忍者の死体から奪い、全員が煙に注意を向けてたスキに草叢を這って、煙から逃れていたのだ。
「あと３人だな」無量斎が残った忍者を睨む。「う」「うっ」２人がうめき声をあげて倒れた。背中に手裏剣が刺さってる。「甚五郎ただいま見参いたしました」荒れ野の中の立木の上に甚五郎が立っている。「おお、待ちかねたぞ」無量斎が声を上げる。「くそ」最期の一人となった忍者が向き直り、甚五郎に飛び掛かる。甚五郎は木から飛び降り、空中で２人が刃を交える［ガキッ］着地した忍者が振り向くと、目の前に甚五郎が立っていた「うわ」叫ぶ忍者に甚五郎が語り掛ける。「もう、動けまい」忍者は体が硬直していた。「お主に尋ねるぞい。お前らはどこの忍者だ？」忍者が答える「と、戸隠」「雇い主は長連頼かね？」「ちがう、あのお方は協力者だ」「では雇い主は？」「えーと、えーと」「わからんのか、じゃ、もういい。」［ビシッ］甚五郎は手刀で忍者を眠らせた。「目覚めたときには、何も覚えていますまい」甚五郎は無量斎に告げる。「そうか。こいつらは戸隠忍者だちよ。戸隠といえば、上野の国厩橋も近いな。」聞えよがしに無量斎が声をはりあげる。「さあ、帰るとするか」「は」二人が去っていく。影丸はこの近くの木の影に隠れていたのだが、気づかれていたらしい。「戸隠か」そう呟くと影丸も去っていった。無量斎と甚五郎は立ち去ったように見せて、元の場所に戻っていた。「あいつの後をつけろ」「はっ」無量斎が甚五郎に命じた。

弥五郎は先刻の影丸の火薬玉の音を聞きつけてきた。影丸は草叢に伏し、米吉は木蔭に隠れた。「どこだ」周囲をうかがう弥五郎。［サワサワ］影丸は草原の中を這って弥五郎の左へまわった。いきなり影丸が弥五郎に向かって飛び掛かる。「きたか」弥五郎が狙いを定め、背中の岌の横にある紐を引くと［ガシャン］と音がして無数の矢が飛び出した。矢が影丸を刺し貫き、影丸が地面に落ちる。しかしそれは,木切れに黒い布をまとわせた塊で変わり身だった。「しまった」弥五郎が手早く矢の束を岌の上の穴に突っ込む。矢の束は輪のようなもので束ねてあった。「ここだ」影丸が元の場所に戻り、たちあがる。「うぬ、今度こそ針鼠にしてやる。」また弥五郎が紐を飛行とする、そこへ「影丸、かがめ」米吉が木の上からお飛び降りてきて影丸の前にたつ、背負っていた気の板の束を扇状に広げる。板は長さ２尺、幅は上が１尺下が
３分の２程度、かなめは敵の豊八の刃車の芯を活用し、５枚を重ね、２組作って、その扇を素早く広げて上下に並べ人一人が中腰で隠れる広さを確保した。板は鉋をかけ、砥の粉を塗ってなめらかになっている。「おお」矢が発射されて、すべて板の扇に突き刺さった。すかさず影丸がその後ろから宙を飛び弥五郎に真っ向から刀を振り下ろす。「なんの」弥五郎が金剛杖でこれを受ける。そこへ米吉が扇を投げ捨て、刀を抜いて弥五郎の胴を斬った。「うおお、きさま」弥五郎が米吉に向きを変えたところへ影丸が脇腹を深く刺す。白い六部巡礼の衣装を血に染めて弥五郎は地面へ倒れた。
「やった。米吉、よくやったぞ」影丸が声をかける。米吉は板の扇を拾って、呟く。「見ろよ矢が板を突き抜けている。もう少し板が薄かったら、矢が板を突き破り、お陀仏だったぞ」震え声だ。「いや、たすかったよ。すまんがあいつの背の箱と矢の束を持って先に宿へ戻ってくれ。俺は調べることがある。」こう言って影丸は米吉と別れた。

杏之進と飛丸は手裏剣の応酬、そして刃を交えるなどして、森の奥へと消えてゆく。暫くして［ドーン］爆音が響き森の中から黒煙があがり中空の半月を隠した。杏之進が森から出てきて屋敷にもどってきた。着物がところどころ焼け焦げ、火傷も負ってるようだ。連頼の前にかしづき報告する。「曲者を捕らえましたが、自爆しました。」「うむ、怪我は大事ないか」「は、差し障りはありませぬ。」「そうか、重要な役目があるからな」。杏之進は奥へさがる。ぽつりとつぶやいた「火薬が多すぎたな」
千山は庭で部下を呼び出す。「太七」「おん前に」だぶだぶの行者のような装束に黒子のような黒布をつけた頭巾の忍者が現れた。後ろに数人の下忍もいる。「お前らに見張りを命じたのに、何をしておった」「申し訳ございませぬ」「今度はぬかるな。それから森で爆音がして煙があがってる。近隣の民を近づけさせるな」「かしこまりました」太七が姿を消す。影丸もこの煙に気づいていた。「何が起きたんだ」その場へと向かう。「この辺か」地面が焼け焦げ、草木が吹きとんだ形跡がある。「おまえもやって来たのか。」無量斎が姿を見せた。身構える影丸。「まてまて、戦うつもりはない」無量斎は片手を出して制止する。「しかし尋常ではないな、忍者の仕業か」「そうだろうな、途中に争った形跡や手裏剣が落ちてた。」「だれか倒さ影丸れたかな」無量斎が見回す。「血の跡や死体はないな」影丸が答えたそのとき、「むっ」「囲まれてるな」影丸と無量斎は背中を合わせ、警戒する。［シュー］木の上から手裏剣が飛んできた。「オー」二人がこれを刀で弾き返す。「ここは別れよう。しっかりやれよ」無量斎が影丸に声をかけ走り出す。「お前もな」影丸は反対側に走る。「太七どの、いかがいたす」樹上で下忍が尋ねる。「おまえらは浪人者を追え、俺は忍びを始末する」「は」太七らも二手に分かれた。
影丸は森の奥へと進むむ。「はっ」黒い影が影丸を襲った。人間とは思えぬ細い体に丸い頭の両手が刃物になった人形だった。「操り人形か」同じものが背後にもう一体いる。［シュッ］同時に斬りかかり、これを樹上に飛び上がりかわす。
「ふふ、この人形太七の忍法傀儡乱舞、どこまでかわせるかな」離れた木の枝に腰かけた太七が含み笑いを漏らす。「くそ、操り糸を切れば」影丸が刀を振り回すが、跳ね返される。「鋼の糸か？」再び襲い掛かる人形。「くらえ」刃をかわしながら人形に火薬玉を投げつける。［バーン］一体の人形がバラバラになって宙に浮いている。残りは一体かと思いきや新に一体出現した。「きりがない」影丸はそこから逃げ出した。「逃がさん」太七と人形が木々を飛び交い跡を追う。少し開けた草原に出か影丸は草の中に身を伏せた。「ふ、操りはここまでか、だが、これで終わりではないぞ。」太七の着物の裾から子供のようなからくり人形が３体出てきた。［カタカタ］影丸に近づくと、口から吹き矢がとびだす。「うっ」間一髪、吹き矢が頭上を過ぎてゆく。ほかの二体も影丸を狙いその後ろには太七が控えている。「影丸、騙されるな。本物はお前の後ろにいるぞ」木の上から米吉が叫んだ。「そっちか」影丸が振り向きざま十字手裏剣を投げる。「ぐわ」頭や上半身に手裏剣がささった太七が立ち上がる。「み、見破られたか」どうっと太七が倒れると、からくり人形も崩れ落ちた。
「米吉、たすかったぞ」影丸が声をかけたとき、「そこにいたか」連弩の弥五郎が木々の中から姿を見せた。

横たわる藤三郎の目の前で、石畳の石が動き、上へ持ち上がる。「藤三郎、元気か」影丸の声だ。「おお、ありがたい。やはり、来てくれたか」石畳の床は下から押しあげると意外にもろかった。「見張りは？」「居眠りというより熟睡してる」「そうか」影丸は差し入れの水と兵糧丸を藤三郎に手渡す。
「で、ここから抜け出せばいいんだな？」藤三郎が兵糧丸をほおばりながら尋ねる。「いや、捕らわれてるふりをして、もう少し城の様子を調べてくれ。家老の長が怪しいんだ。身代わりの人形をこの下に用意してある。」「そうか、連絡はいつものとおりで、いいな」「たのむ。拷問や処刑の危機を感じたら、脱出してくれ」「恩にきるぞ」影丸は石畳の石にちいさな楔を刺し、戻って行った。
宿に戻ると、米吉が待っていた。「影丸、例のものを、一晩で作ってもらったぞ。」「すまん。それを持って俺と行動を共にしてくれ。ただし陰から俺を見守ってくれ」「わかった」夕刻になって二人は宿を出て、長の屋敷へむかった。
金沢城では、家老の本多政義が飛丸を召し出していた。
「お主に長連頼の屋敷を調べてきてほしい。あの者に怪しい動きがあると知らせがあったのでな」「わかりました。直ちに」飛丸が本多の前から姿を消した。
長の屋敷の一室では、千山が控えていた。「遅くなったな。」連頼がはいってきた。「これを見よ」連頼の跡からもう一人入って来た。「おお」千山が声をあげる。はいってきたのは藩主綱紀だ。「これは、見事な」綱紀に見えたのは、杏之進の変装だった。「殿を亡き者にしたあとは、こやつがいれかわるのだ。」「いや、これならだれも見破れますまい」「しかし摩須様には通じるかどうか」杏之進が変装を解く。「そちらは、お主たちに」連頼が千山に視線を送る。「引き受けました」このとき、杏之進が刀を抜き、天井に投げ上げた。刀が天井に突き刺さる。「曲者だ私にお任せを」杏の進が飛び上がって天井を突き破る。「む、あれか」天井裏を身をかがめて走り去る飛丸の姿を杏之進は見逃さなかった。屋根の上に出た飛丸に杏之進が続く。「逃がさぬ」杏之進が手裏剣を投げる。飛丸は刀でこれを跳ね返すと、屋敷の裏の森へ逃げた。「まて」杏之進も森に姿を消す。

藤三郎は牢番のいないスキに自らの褌をちぎり、そこになにやら書きとめた。天井近くの明り取りの窓からクワガタムシがはいってくる。
宿に戻っていた影丸は、米吉と弥五郎が撃った短めの矢を調べながら相談している。「どうやって、あんなに大量の矢をうってくるのか。腰のまわりには箙とおぼしき筒をいくつもさげて、中の矢はなにかで束ねてあったようだが。」弥五郎は大き目の岌を背負っていたがそこにどのような仕掛けがあったのか。「米吉、ひとつ頼みがあるが」影丸が米吉に耳打ちする。「わかった、知り合いの指物師にあたってみる」米吉は頼みを引き受け、宿を出た。
「さた、藤三郎はどうしてるかな」影丸はまた、連絡用のケヤキに向かう。相変わらず木には無数の虫がたかっている。その中から文を結び付けられたクワガタムシを取り上げた。
文は左右の角に１通ずつつけられている。
「何、捕まったのか。」そこには捕らわれている地下牢の場所や形状も書かれている。「救助要請だな。これは」影丸は予定を変更し城へ赴くことにした。「文に書かれた通りなら当面、命の危険はなさそうだが」影丸は一度宿に戻り、身支度を整え出発する。
無量斎は、前夜に長連頼の屋敷で小火騒ぎがあったことを聞きつけ長の屋敷の周辺を見にきていた。
「ふむ、ここには、怪しげなやつらが出入りしてたようだがな」屋敷の門を眺める。「これ、そなたは横山殿のところに身をよせてる御仁ではないかな、なにようか。」無量斎の背後から声をかけたのは、杏之進だった。「「いや、散歩をしてただけでな、邪魔なら立ち退きいたす。」無量斎はその場を離れた。「おかしいな、この俺としたことが、いつのまに背後にいたのか気づかなかった。ありゃあただ者じゃないな」無量斎はそうつぶやき去っていく。しかし数人の忍びが尾行をしていた。
少し離れた草原までくると無量斎は振り向く。「いつまでこそこそしてる。用があるなら姿を見せろ。」６人ほどの黒覆面の忍者が無量斎を取り囲んで立ち上がった。「ほう、えらく殺気立ってるな」一人の忍びが無言げ背後から切り込むと、無量斎は刀を抜くやその男を切り捨てた。「問答無用か」「うぬ」忍びたちが手裏剣を投げるが、刀で打ち落とす。別の忍びが鎖分銅をなげるが、今しがた倒した男の襟首をつかんで持ち上げ、これを盾にする。さらにその男とともに突進し、死体を投げつけるとしたいもろとも串刺しにした。「くそ」宙に飛び上がって一人が切り込むが、脇差を抜いて投げつける、脇差はその忍者の喉を貫いた。「ひけ」残る３人は姿を消した。「このわしも狙われはじめたか」倒れた忍者たちを一瞥して刀をおさめ、脇差を抜き取って、そこを去った
影丸は城内に潜入すると、茂みのかげで穴をほりはじめた。土遁の術は右京から学んでいた。掘り進むと途中で少し下がり小さな蝋燭を点け、小皿に水をいれて、そこに木の皮に刺し通した針を浮かべた、針は磁力をおび、方位を示す。「よし間違いないな。」藤三郎が書き記した地図を見比べると火を消してまた堀りはじめた。

城の調査に向かった藤三郎は、夕刻に城内に潜入した。御殿の天井裏を進み、藩主のいる書院の上までやって来た。綱紀は夕餉を終えて、休息の時間らしく、書物を読んでいる。「綱紀さま」１２．３歳の少女が綱紀の部屋を訪ねてきた。１０歳で綱紀のもとに輿入れした摩須姫で、老中保科正之の娘である。「
御父上から手紙をいただいたのですが、中にもう一つ封書があり、綱紀様に直々に手渡すようにとの指示がありました。」摩須が綱紀に手紙を渡す。綱紀はともかく摩須はまだ床入りできる年齢ではない。「またきたか、苦労だったな。戻って腰元たちと遊んでいなさい」「はい」摩須が部屋をさがる。
綱紀は早速封書を開けると、少し険しい表情で一読し、傍らの茶釜を置いた風炉にまるめて入れると、火種を入れて燃やしてしまった。
「何が書いてあったのかな、よく見えなかった。残念がる藤三郎。「曲者、また現れたな」見回りをしていた、前田藩の忍者、飛丸が藤三郎を発見した。「いけねえ、また見つかっちまった。」藤三郎は身をかがめながら走り出し、屋根の上に脱出した。「まてー」忍者たちが集まってくる。藤三郎は庭へおりて、虫寄せを始めるが、「煙玉」小頭格の忍者が指示すると周囲の下人の部下たちが一斉に煙玉を投げる［ボーン］玉が破裂すると、藤三郎が集めた虫たちが煙の中で混乱しはじめた。「いかん、集まれ、」あせる藤三郎。四方八方から縄が投げられ、飛び上がってかわそうとした藤三郎を捕らえた。縄に幾重のも巻かれた藤三郎は観念した。「ざ、残念」掴まった藤三郎は縛られて裸にひん剥かれ、所持品をすべて取り上げられた後、城内の地下牢に放り込まれた。装束だけは返してもらった。「おい、拷問はしないのか」藤三郎が牢番に尋ねる。「これから水も、食事もあたえん。拷問は、おまえば弱ってからだあ」牢番が答える。「ふん、そう簡単にはまいらんぞ」藤三郎がうそぶく。地下牢は石畳で、天井近くに小さな明り取りの格子のはいった窓がある。
「ふん、あれだけあれば十分さ」藤三郎は牢番の目を盗み、えずきだす。「うげぇ」胃の府から吐き出したのは３寸足らずの漆塗りの小さな玉、その中に虫寄せの薬や筆記用の炭の棒がはいってる。「これで影丸への連絡だけはできるな」藤三郎は牢番に背を向けて横たわりながら、独り言をつぶやく。

光の筋は、その数を増していき、風の吹く方へ流れていく。
「何だ、あれは」丈馬は木から飛び降り、光る物体をひとつ手づかみにした。「これは」それは一枚の木の葉だ。ツキヨタケのような発光物が塗ってあるのか。「忍法木の葉流星」影丸の声が闇に響いた。「こんな小細工で」丈馬が言い返す。「本当に恐ろしいのは、それではない。明かりをつけてみろ」影丸の言葉通りに、ガンドウに火を入れると。丈馬の周辺には無数の黒い木の葉が漂っていた。「うっ、体が」丈馬は体が痺れ、立っていられなくなる。ガンドウを地面に伏せて縦にして、それにしがみつくが、そのまま臥せってしまった。ガンドウを伏せたため火が消え、真っ暗になる。「やったか」影丸が近づいてきた。「暗くてよく見えないな」影丸が松明に点火する。松明の明かりの中、丈馬が倒れてるのが確認できた。「やった。こいつを連れ帰り、素性を確かめよう」そのとき［サー］なにか数多くの物体が風を切って飛んでくる音がした。
「な、なんだ？」影丸は松明を手放し、その場を跳んで離れる。［グサ・グサ］多数の矢が地面に刺さった。丈馬の身体にも何本も刺さっている。絶命したようだ。「何があったんだ」影丸が地面に落ちた松明を拾おうとすると、林の奥からも松明の明かりが接近してくるのが見えた。「まずい」影丸は木陰に隠れた。
松明を手にした六部巡礼の姿でおおきな箱を担いだ、体のがっしりした男がやってきた。
「こ、これは」倒れている丈馬を見て驚いている。「俺はガンドウの明かりを避けて、松明の火を狙って連弩を撃ったのだが」丈馬の傍らの木の葉を拾う。「丈馬はこれでやられたのか。この地面に落ちてる松明の主は、まだいるのか」六部が腰に下げた何本もの筒の一つから、一掴みの矢を取り出し背中の箱の中にいれながら、周囲を見回す。影丸は風下の木のうしろに身を隠してた。先ほどの丈馬との闘いで、腕を少し切られ出血しており、血の匂いを悟られないようにしたためだ。そのかわり、木の葉が飛ばせない。「どこにいる」大男の六部が呟き、耳をすます。林の中は虫が鳴き、蛙の声もする。影丸の足元で一匹の蛙が跳んだ。［ガサ］「そこかっ」六部が身をかがめ箱の上方を正面に向けると［ドッ］数多の矢が箱の穴から飛び出し、影丸の隠れてる木の方向へ発射された。［カカカ］矢が木に命中し、またいくつかは遠方へ飛び去った。影丸は声を立てず、息を殺した。「違ったか。この次は必ずこの連弩の弥五郎が仕留めてやるからな。おぼえておけ」地面に刺さってる矢をいくつか拾い集めると弥五郎はそこから立ち去っていった。
「なんと恐ろしい武器だ」影丸はしばらく、その場を動けなかった。

庭の茂みに潜んでいた影丸は木が付いた。家老のうしろの若侍も忍者であると。「まずいな、腕が立ちそうだ、それに、あちらの仙山は首領格、一筋縄ではいかないぞ。」影丸は進退窮まった。「よし」影丸は意を決し、荒業に打って出る。［ザー］茂みから火のついた木の葉が舞い上がった。若侍は家老を庇い前へ出る。「仙山殿、深入りは危険です。それより火事に気を付けて。障子が燃えてますよ。方々、水を、」家来たちは手桶を運んでくる。「杏之進、なんとかせよ」連頼が若侍に命ずる。「はっ」杏之進が刀を抜いたとき、［ボ―ン］今度は真っ黒な煙が発生した周辺は益々混乱する。仙山は玉を取り出し天空に投げ上げた。［ヒュー］玉は音を出して上がっていき中空で赤い星になった。火と煙がおさまってきたとき、影丸は姿を消していた。「御安心あれ。只今部下たちに合図を送りました。曲者は必ず打ち取ります。」仙山が家老の連頼に報告する。「私も周辺を探ってきます」杏之進も屋敷から出て行った。影丸は屋敷を離れ、林の中に駆け込んでいた。月が沈んで、あたりは真っ暗闇だ。「これで長連頼が何か企んでいることだけは、明らかになった。お家騒動だろうか」雑木林の低木を潜り抜けながら走り続ける影丸。少し開けた場所に出たとき、何かの気配を感じた「だれだ」突然蝋燭のはいったガンドウが影丸を照らした。「う」影丸が立ち尽くす。「見つけたぞ。大きなネズミめ。この光の丈馬が仕留めてやる。」丈馬が持っているガンドウは少し細長い形をしてる。これを木の枝の股に固定した。影丸は身構える。丈馬は背中にさしていた長い柄のついた黒い風車を地面に刺す。ガンドウの前の風車は蝋燭の熱に回転し始め、光を遮ったり通したりを繰り返しそれが速度を上げていく。「？なんだこれは、目がチカチカする」眩しそうにして刀を構える影丸。「ふふふ、忍法百身分身」点滅する光の中で丈馬は素早く移動する。その姿が上下左右前後と無数に分身しているように見える。「これは」影丸は身辺を見回す。すると［シュー］どこからともなく長針が飛んできた「おっ」危うくかわし、影丸は傍らの木に飛び移ろうとするが木の枝の上に丈馬が待ち構え斬りかかる。［ガキン］刀で打ち払い、地上に降り立つと、また長針が何本の飛んでくる。丈馬の攻撃がかわしきれなくなってくる。「これは完全に敵の術中だ。それに、この光の点滅は気が変になりそうだ」影丸は覆面を外して、その黒い布をガンドウと風車へ投げつけた。布がガンドウと風車を覆って、周囲は再び暗闇にもどった。「ちっ、明かりをけしたか。だがガンドウはもう一つ持ってるんだ。」木の上で丈馬は腰にさげたガンドウに火をつけようとする。「おや？」そのとき丈馬は幾筋もの青白い光が闇の中を流れていくのを見た。